お子さんの遊び相手として、インテリアの一部として、手元に置くことが多く身近に感じる人形ですが、そもそもの由来をご存知でしょうか。
古い時代に存在した人形が、どういう目的で暮らしの中に取り入れられたのか、それを解説します。
「ひとがた」と呼ばれるものから始まった人形
人の形をしたおもちゃ、もしくは飾り物として使われる人形は、本来「ひとがた」もしく「ひとかた」と呼ばれて利用されていたものに、漢字をあてたものです。
古来「ひとがた」は祭りの憑代や災厄を祓う身代わりとして使われていました。
宗教が関わる神がかり的な目的で、人の形をした「ひとがた」を使っていたのです。
生きた人間の代わりに神事や呪術の道具としていたのが「ひとがた」でした。
夏越の大祓という神社の災厄を祓う行事で、この「ひとがた」はまだ使われています。
人の形をした紙のひとがたを、枕の下に敷いたり息を吹きかけたりすることで、お祓いをする本人の厄を吹き込みます。そのひとがたを焼いて、無病息災や厄除けを祈るのです。
由来として奈良時代の厄除けにさかのぼります。
医療技術が発達していない当時、成人を待たずに命を落とす子どもが後を絶ちませんでした。
大切な子どもの厄を祓いたい、病魔や穢れを祓って健康に成長してほしい、そういった願いから「ひとがた」が子どもの厄や穢れを背負う役割を果たしていました。
紙や草木を使って人と同じ形にした「ひとがた」で体を撫でることにより、人の厄を移します。それを焼いたり川に流したりすることによって、その人からは災厄や病魔が去ると考えられていた行事です。
厄除けだった流しびな
今でも知られている「流しびな」はこれが由来です。
流しびなは後の雛人形として残りますが、厄払いとして流しびなという行事は現代にも残っています。
焼くことや流すことで厄払いの役割で使われていた「ひとがた」は、その後平安時代に移り、厄払いとお守りの意味を持つ「雛人形(ひなにんぎょう)」に繋がっていきます。
雛人形は男女一対を基本にできています。そして服装や髪型は、お公家さんを象っていますね。
これも女の子への願いが込められているのです。
宮中で暮らす天皇や皇后のように幸福な結婚ができるよう、安定した人生を送れるよう、願いを込めたお守りとなりました。
元は「ひいな遊び」という平安貴族の女の子の習慣から生まれたものが、平安に発祥した雛人形の由来です。
ひいな遊びには男女一対の紙人形が使われました。宮中をイメージした紙の御殿で男女対となった紙人形を遊ばせて、宮中で幸せに暮らす夫婦の真似事をする、それが後に桃の節句で飾られるようになった、雛人形の由来となっているのです。
五月人形の由来と意味は?
では一方で、男の子には「端午の節句」に五月人形を飾る習慣がありますが、こちらの由来はどうでしょうか。
端午の節句には鎧や刀を装備した五月人形を飾るという習慣がありますね。
端午の節句は、先に触れた雛人形を飾る「桃の節句」と一緒に古代の中国から伝わってきた五節句のひとつです。
五節句には
- 七草の節句
- 桃の節句
- 端午の節句
- 竹(笹)の節句
- 菊の節句)
があります。
五月人形を飾る端午の節句は、昔は「旧暦5月」であり、今の6月、つまり梅雨の時期でした。
武士が登場する鎌倉時代や室町時代を発祥とする、現在の「端午の節句」ですが、これには武士が武具を虫干ししていた習慣から始まります。
旧暦5月、湿り気を帯びる天気が続くこの時期には、武士は自分の武具である鎧や兜を家の中に飾り、虫干しと手入れをしていたのです。五月人形はこれが由来とされています。
武士の身を守る武具であった鎧や兜、刀剣類を飾ることによって、男の子が健康で強く育つようにと願いを込めたものが、現在にも伝わる五月人形となっています。
まとめ
最初は焼いたり流したりして穢れを祓うひとがたとして、飾ることによりお守りとして、古い時代に人形は登場しました。
現代ではお子さんが抱いて遊ぶ人形も、そういった古い歴史から生まれたものです。
人形とは、人の代わりに穢れを祓ったりお子さんの成長を守るためにお守りとして飾られたり、そういった古い習慣を由来としていたものです。